ブラスのひびき
2024年04月07日

大人と子どもの違い

よく中学生は子どもの最上級生、高校生は大人の新入生のような言葉が聞かれます。

大人と子どもの違いはどこにあるのでしょう? 経済的な自立を指す人もいますし、法的な成人年齢を指す人もいるでしょう。知り合いの生物の先生から、「女性は初潮を迎えた時から妊娠可能となり、子孫を残す能力を有することになるので生物学的には大人と言えます。」と教わったことがあります。じゃあ男性は? と思いましたが、現時点でよくわかって(調べて)いません。ここでは生物学的な分類や法律上の大人ではなく、人間として成長していく過程の中での大人と子どもの違いについて考えてみたいと思います。大きなキーワードは2つ。「社会的定位」と「対他的配慮」です。

 

★1つ目のキーワードは「社会的定位」です。これは、社会の中で自分のポジションをどのようにして見つけていくかということです。つまり、子どもは、家庭の中で生きているのですが、大人は、社会の中で生きているのです。


 家庭内→保育園→小学校→中学校→高校→大学など→社会と、年齢の成長に伴いどんどん自身を取り巻く環境が広がっていく(関わる人が増える)中で、社会的経験値を増して成長し、環境に適応していく能力を養っていく必要があるのです。幼子の時は家の中が全て、保育園・幼稚園でで家族以外の人と接し、集団生活を経験して大人を独り占めできない環境に出会い、生活訓練的な過ごし方から学習の場として小学校、複数の小学校が集まって中学校、高校は東京都なら都内全域から、その後は日本中、世界中が関わることになります。最終的には社会は学校ではないので、実務面のスキルアップのための研修はしますが、社会的定位の獲得のために社内教育などはしません。突き放され、放り出されます。その時までに自力で自身の社会的定位を築けないと早期退職などの遠因となり得ることでしょう。


★2つ目のキーワードは「対他的配慮」です。これは、自分が何かアクションを起こしたときに周りがどう感じるかをあらかじめ考えることです。自分を含んだ空間や環境を俯瞰して、第三者的な視線で物事を見ます。「もし〇〇を実際にやってしまったら自分が(相手が)どうなってしまうだろう?」などです。


 子どもの行動は主観的なので、自分が自分が…となります。例えば、「お話聞いて」、「お絵描きしたの見て」など自分自身の欲求を満たすための行動に代表されます。電車やバスの中、おもちゃ売り場やファミレスなどで困り顔の親に関係なく泣き叫んでいる子どもを見かけたことは誰でもあるでしょう。

 それに対して、大人は自分以外の目(客観性)を持っています。逆の場合も含め、相手を充足させることが結果的に自身をも充足させることに至ることを知っています。

対他的配慮に欠ける例をいくつか挙げてみましょう。

  • 実社会、ネット社会に関わらず他者への誹謗、中傷。(二次的、三次的な影響を考えず自分の正義を一方的に主張する)
  • 提案または対案なき批判。(相手のやる気に冷や水を浴びせているだけで尊重していない)
  • 電車やバスの中、おもちゃ売り場やファミレスなどで泣き叫んでいる子ども。(周囲を困らせていることに気が付かない)
  • 授業中静かにできないなど、周りがうるさがっていることに気が付かない。
  • 目の前に妊婦や杖をついた方がいらしても優先席を譲らない人。
  • 外食中SNSに載せる写真撮影に夢中になり、味わっていない。(料理人に敬意を払っていない)
  • 電車が遅延した時に、ここぞとばかりに駅員さんに文句を言っている人。(駅員さんが事故を起こしたわけではない)
  • いわゆるバイトテロなど。(身分がバレた時のことを考えていない)

吹奏楽部でありがちな対他的配慮に欠ける事例も紹介しておきましょう

  • 自分の楽譜も正確に演奏できないのに合奏に参加する生徒。(合奏は全体練習の場であって個人練習の場ではないということがわかっていない)
  • 「こんな下手なメンバーと一緒にやりたくない!」などと口にする。(そもそもこの言葉が相手を傷つける非音楽的な音であることをわかっておらず、さらに、どうやったらもっと良くなるかを提示していない=対案なき批判)

こうしてみると、対他的配慮に欠ける行為をしているのは子どもだけとは限らないことがよくわかります。子どもでも自身の行いを俯瞰して考えることができる子もいますし、電車やファミレスの例で言えば、騒いでいる子どもは自分が迷惑をかけているとは気がついていない、いわゆる無邪気な状態ですが、その状態の子どもを気まずさから「静かにしなさい!」と逆に怒鳴りつけたり、放置したりしたりしている場合は親の側が対他的配慮に欠けていると言えるでしょう。

対他的配慮を行なっている事例を一つ紹介しましょう。千葉県に市立柏高校という学校があります。吹奏楽部は全国大会の常連校です。早朝に登校後、全部員で校舎内を清掃します。練習中校舎内を使わせていただいているため、マナーとして綺麗にしてお返しするためです。市立柏高校の音が校内から消えることはありませんが、清掃活動を目にすることによって応援したくなる人が増えることは確実です。客観的に見れば、吹奏楽部なんて学校中で聞きたくない大きな音を撒き散らしているのですから、基本的には学校中の嫌われ者です。図書館で集中して自習したい生徒からすれば憎悪の対象であってもおかしくありません。

中高生は自分のやっていることが周囲からどう映っているか、相手がどう考えているかを気にしていない場合が多いです。音楽の部活にいるのに、自分の演奏を録音して(相手にどう聞こえるか)チェックしていない人は非常に多いです。味見をしない料理人のようなものです。演奏以外も含めて、自分の行なっていることが仲間や顧問の先生、学校の先生方からどう思われているか第三者的な観点でチェックしてみると、新たな発見があることでしょう。大人から指摘されるとムカッときますが、自分で省みることができるとそれは素敵なことです。

これらの学力などで測ることのできない能力のことを非認知能力といいます。非認知能力についてはまたいずれ紹介します。人格の形成期である中学生や高校生の時期は、この対他的配慮の成長度にばらつきがあるので、対応される先生方も苦慮されることでしょう。

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