その他
2022年03月14日

参加することの重要性

 3月は多くの学校で年間の集大成として定期演奏会が行われます。コロナの影響でやむなく中止にしたり、保護者限定の観賞だったりと、実施状況はまちまちのようです。どの学校も、やって良かったと思える結果になることを願っています。行事の達成感の度合いは自分がどのくらい「参加したか」で決まります。友人の物理科の先生が生徒たちに年度始めにこのように挨拶していました。

授業は「受ける」ものではない。「参加する」ものだ。

大人しく椅子に座り、板書を写し、小テストにおとなしく取り組んでいたとしても、わからないことを放置したままでは、おとなしく授業を受けていただけであり、わからない自分を大切にしていないことにつながっていきます。「わかりません」と声をあげることは自分を救済するために必要なことです。自分を大切にしています。自分で自分を助けることが出来なければ、と言った、困っている友人・家族に「私はこうやったうまくいったよ。やってみたら意外にハードルが低かったよ。」などの具体的な援助の手を差し伸べることが出来ません。

 以前勤務していた学校のスクールカウンセラーの先生が、部活をすぐにやめてしまう生徒に対してこのように仰っていました。

保護者が一緒に悩んであげればいいんですけれど…

 部活をすぐにやめたがる子の多くは部活に参加しているのではなく、そこにいるだけの状況である場合が多いです。参加できないので疎外感を感じるようになり、つまらなくなっていき、やめたいとその場から離れたくなるのです。スクールカウンセラーの先生が仰っていることは、保護者が子どもの悩みに参加していないことを示しています。

 成功体験の必要さが訴えられる昨今、保護者は自分の子どもになるべく失敗させないようにしがちです。しかし、何かができるようになるということは失敗の連続の少し先にあるものです。「美しいバラの花はトゲの先に存在する」などと例えたりします。失敗しないということは参加(挑戦)していないのと同じことです。幼少期・青春時代に何かに「参加する」経験は出来たか出来なかったかに関わらず後の財産になります。

 演奏会が実施できる環境にあるのであれば、演奏・企画・アクション(歌う、踊るなど)など、是非自分の活躍できそうな分野で参加して欲しいものです。自分には何もないと思ってしまうのであれば、「最優秀働きバチ」として参加すればいいのです。参加の仕方はいろいろあります。